ある人にとっての絶望とは、ある人にとっての普通であり、また別のある人にとっては希望かもしれない。つまりある状況というのは、受け取る人の心理によって、最高にも最悪にも普通のことにも変わってしまう、ということ。
絶望したり、挫折したり、失敗するということは、マイナスなことのように取られがちだが、私はこんなんじゃダメなんだ、もっとやれるんだと、本人が認識している証拠であり、絶望の裏には夢や希望があるのだと思う。
成功を忘れて、現状に満足しないことが重要だとよく言われるが、それ以上に現状に絶望したほうが希望の数も増え、その質も遥かに上がっていくのではないだろうか?
息を止めると1分が長く感じるように、苦しい時間は永遠に続くように感じる。絶望の数が多いほど、体感的な時間は長くなり、しかも希望の数や質まで増えるのだから、ダブルでお得になる。
マラソンをしているとランナーズハイになると言われているが、思うように前に進まない苦しい期間を乗り超えたあとに、我を忘れ、時間をも忘れるランナーズハイがやってくる。苦しみを伴わないハイ状態というのは存在しない。法に触れ、高い金を払えば簡単にハイなれるかもしれないが、その高揚感は苦しみを伴っていないため、後から禁断症状という苦痛がやってくることになるのだろう。
まとめ
苦労は買ってでもしろ。そして絶望や挫折も買ってでもしろ。しかもそれは若ければ若いほうがいい。苦痛の多い人生は体感的に長くなり、人より長い時間生きることになる。そして、絶望の裏には夢や希望が待っている。
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