努力という言葉をよく耳にしませんか? 「努力は必ず報われる」とか、「努力は嘘をつかない」とか、シンプルに「もっと努力しろ」とか。
昔から、この言葉を聞くたびに違和感を覚えました。例えば学校で同じクラスだった友人。彼ら彼女らはそれぞれ違った学力で、違った体格、違った顔、違った声、違った笑い方でした。
それなのに先生は、皆同じように一律に勉強を教え、同じ内容のテストをし、いい大学に行けば人生の選択肢が広がると言いました。
全員全く違うのに、同じ教え方で、同じ判断基準で、型にハマった大学生を作ろうとしていました。
型にハマった人間が本当に必要だとしたら、それはロボットで代用できるのではないでしょうか?
勉強が出来ない人がいるお陰で、勉強が出来る人が存在します。みんな勉強が出来たとしたら、みんなできる勉強に価値などないのです。複雑で多様だからこそ、全員に価値があるのです。
自分が立てた目標を達成した時のことを思い出してください。その目標を達成するのに必要なのは本当に血の滲むような努力だったでしょうか?
私の成功体験に、「努力」の記憶はありません。あったのは、「習慣」です。
毎日起きて、食べて、働いて、眠るまでの間に、あなたの目標達成に必要な習慣を組み込む。ただそれだけです。
万が一、その習慣が生活の中に定着しなかった場合は、あなたは本当にその目標を達成することを望んでいるのか考えるべきです。
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