最近受けた友人からの相談に対する答えを真剣に考えてみました。職業はバラバラですが、根っこの部分は皆同じ悩みだと思います。みなさんへのささやかな参考になればと思い、公開しておきます。
人を雇ったが経営が厳しい
友人は自治体の補助で事業を始めることができたのだが、補助を受ける条件が従業員を3人以上、5年間雇用するというものだった。自治体としては、補助金を使い、雇用を生み、人口を増やしたかったのだろうが、会社経営的な観点から見ると、開業直後から5年間3人雇用というのは、ちょっと無理がある。
- 在庫がない
- 毎月収入がある
- 高利益率
- 初期費用なし
一般的に良いとされているビジネスの条件は上記の4項目なのだが、いきなり人件費がかさむということは、初期費用はかかるし、費用がかかるということは利益率も下がる。下手すると、経営者の給料を従業員に支払う事態となるかもしれない。
そこで私が考えた結論は、申し訳ないが、雇用者の労働時間をギリギリまで減らすというものだ。あるいは他人ではなく、親戚を雇用し、時給を下げてもらうこと。
一番やってはいけないのが、簡単に売上を上げようとしてはいけない。安売りすれば売上は簡単に上がるが、その方法で長年続くようなビジネスを築くことはできない。急がば回れ。時間をかけて信用を築きながら利益を増やしていくべきだと思う。そうすれば簡単に人に真似されることのない強固なビジネスになるはずだ。
農業で空いた時間働きたい
農家の仕事にはムラがあることが多い。労働時間にせよ、収入にせよだ。天気が荒れた場合は、作物が痛み、収入が減るにも関わらず、その対応や修復作業で労働時間がかさむ。干ばつ、長雨、大雪、台風、塩害、イノシシ、シカ、サル、鳥、虫、ウイルス……。様々な要因で農家の収入は減る。
しかし、自然の恵みを収入に変えている訳だから、自然の脅威も受け入れ、克服しなければ本当の農家とは言えないと思う。
農業をしているとつくづく思うことは、「地球は人を中心に回っていない」ということ。人の都合に合わせて天候は安定してくれない。いい意味での諦めが農業には必要だ。
種を撒いてそれを大きく育て、収穫し、出荷する。一般的にはそれが農業の仕事だ。0から1を生み出す技術職と言っていいかもしれない。しかしネットや運輸業の発達でその先にある消費者の元まで届けることが可能になった。もちろん今はそれだけではなく、完全に外注して加工食品だって手軽に作れる時代だ。
農作物を作ったら販売を人に任せずに自分でやってみる。それが一番お客さんの声をダイレクトに聞くことができ、その声を頼りに工夫を重ねることだってできる。そして何よりお客さんの声は農業に対するやる気を持続させるための一番の特効薬となることだろう。
ということで、農業で空いた時間は販売をすればいいと思う。メルカリからはじめてみれば最も簡単だ。
結婚して保育士の給料じゃ足りなくなった、どうすりゃいいの?
保育士の仕事というのは、子供相手の仕事で気を使う上に、どうしても収入が低くなりがちだと聞く。その理由は自治体から子供一人あたり(年齢によって違う)に支払われる補助金の額が決まっており、自由に保育料を決められないことにあるということだ。受け入れる子供の数を増やせば収入は増えるが、保育士の数も増やす必要が出てくるし、それ以外の費用もかさむ。しかも保育士はその収入の低さや出産のタイミングでの離職率が高いため、安定して働いてくれる保育士が少ない。まさに負の連鎖が保育業界には起こっている。
同じ現象が介護業界でも起こっており、やはり自治体からの補助に頼った経営方針というのは長期的に見て不安定になると考えて間違いなさそうだ。
それではどうすべきか。答えは一つしかない。業界の競争自由化だ。タクシー業界の営業方法をUberが変えてしまったように、もっとアナウンサーばかりでなく保育士や介護士もフリーランス化してしまえばいいと思う。
テレビでよく家事代行サービスを見かけるが、あの延長線上で保育をしたり、介護をしたりするサービスが展開していけば、もっと働き方のバリエーションが増えるのではないかと思っている。
数学と英語、どっちが重要か
土地家屋調査士の試験を受けたことを友人に話すと、彼は数学か英語どちらを学ぶべきか迷っているようだった。
私の答えはあっさりしたもので、迷わず数学を選んだ。英語はGoogle翻訳に任せればいい、数学は考え方の学問だから一生使える。とアドバイスさせてもらいました。
しかし最近、この考えが揺らぎはじめた。数学の学習効果に対する考えは変わらないのだが、英語の翻訳を本当にスマホに任せていいものなのかと。
バイリンガルの友人がいたらよく観察してほしいのだが、日本語を話すときと、英語を話すときでその友人の人格は変わるはずだ。日本語は口元だけ動かせば意思の疎通ができ、漢字のおかげで書き言葉の表現バリエーションが充実している。それに対して英語はボディーランゲージを使ってその文脈で単語の意味を汲み取ることが多いと思う。知らない人とも平気で挨拶を交わすあのスタイルは非常にポジティブで、英語を話すときには間違いなくその性格が話す人に乗り移る。
つまり、英語を使ったときと、日本語を使ったときでものの考え方がかわってしまうということだ。別の脳領域を使うといえばわかりやすいかもしれない。
英語を使って自分の子供とコミュニケーションをとる日本人の父親がテレビで放送されていて、そんな英才教育もあるのかと度肝を抜かれたが、結局数学も英語もどっちらも重要だという結論に落ち着きそうだ。
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