私は五島列島出身で、23歳で地元に戻りました。生まれた時から農業は生活の一部で、祖父の家では牛、叔母の家ではニワトリを飼っており、毎年家族みんなで稲刈りをしました。父は当然のように祖父から田畑を受け継ぎ、本業の傍、朝夕土日で農業を続けています。子供の頃には泥臭いこの農業だけはやりたくない、もっとスマートな仕事をするんだと、心に誓っていました。
しかし、20歳で学校を中退し、23歳で地元に戻った何の取り柄もない私は農業をやらざるをえませんでした。しかし、最近になって、やはり農業は絶対に日本に必要な産業だと考えが変わったので、以下で農業が必要な理由を述べていきます。
食べる喜びは生きる喜び
農林・水産業は第一次産業と呼ばれ、原材料・食糧など最も基礎的な生産物の生産にかかわる産業です。人類が地球上で生み出した初めての仕事で、その歴史はどの産業よりも古いのです。
ですから、ここまで科学技術が発達した現代において、農業を生業とすることは効率的とはとても言えない状況です。仕事で儲けたいと思うのなら、時代の最先端をゆく産業に手を出すべきで、決してそれは農業ではありません。しかし、儲からないから農業はやらない、という発想はやはり間違っていると思います。その理由は以下で説明します。
食べる楽しみは決して失われない
衣食住は生きる基本ですから、たとえ完全栄養食が普及したとしても、健康的で安全な美味しい食べ物を食べたいと誰もが皆、思うでしょう。どれだけ時代が進み、便利な世の中になろうが、食べる楽しみは人類が滅亡するまで失われないと思います。ですから、安全で美味しい食物を生産するための農業は必要としてくれる人がいる限り存続し続けると思うのです。
土地を荒らさないこと
次に、農業が担う重要な役割に、土地を荒らさないということがあります。私が住んでいるのは五島列島という離島ですから、年々人口は減っています。数年前まで田んぼとして活用されていた土地に雑草が生い茂っている光景をよく見るのですが、やはりその度になんとも言えない寂しい気持ちになります。
田畑を荒らさないようにするためには、土地の有効活用をしなければならないのですが、なにせ人口が減っているため、不動産投資、ソーラー発電、コインランドリーの経営、貸し倉庫など、都会で流行っている土地活用では全く歯が立たないのが現状です。ですから、せめて先祖から受け継いだ我々の田畑くらいは荒らしてはいけないと思い、米やアスパラガス、自然薯などを栽培しています。
正直言って、農業でお金儲けをしようという考えは全くナンセンスですが、ドローンが発達し、輸送コストがぐっと下がれば我々離島の農家でも十分に価格競争に負けることなく美味しい食べ物を人口の集まる大都市に出荷できる日が来るのではないかと期待しています。その日がいつ来てもいいように、面積をこなすよりも、味や安全を追求する高品質な農業をこれからも続けていきます。
自然との関わりを失わない
そして農業の魅力3つ目が、自然には人を癒やす効果があるということです。私の場合は農業ですが、海、山、湖、川、植物、動物、虫、なんでもいいので週に一度は自然と戯れるべきです。太陽光に当たると、うつ病の予防になることは研究の結果ハッキリしていますし、解剖学者であり、『バカの壁』の著者である養老孟司も週末に自然と関わることを推奨しています。
さらに、自然の力を感じることで、自分の存在の小ささを思い知ることもできます。地球は人間を中心には回ってはいない、我々は生かされているちっぽけな存在なんだと、自然が教えてくれるのです。ですから、環境を荒らすように傲慢に生きていてはバチが当たるような気さえしてくるのです。
以上が私が農業を辞めない3つの理由です。みなさんも月に一度でいいので、自然に触れる習慣を持ってみてください。
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