仕事を選ぶ基準として、やりたいことをやるべきだとよく言われますが、これは本当に正しいのでしょうか? 私自身、仕事としてやってみたいことが膨大にありすぎて、その欲求を必死に抑えながら日々生活しています。
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私のやりたいこと
例えば最近なら、ユーチューバー相手に動画の編集をやってみたいです。Macには動画、音楽編集に関する便利なソフトが入っているので、動画に添える音楽や効果音までも簡単に作れます。そして、趣味として長年やっているWebサイト制作も実際に仕事としてやってみたい。さらに、昔から小説を書いているのですが、今後書きたいテーマがまだまだ山のようにあります。Pythonでのプログラミングを覚えて単純作業を自動化してみたいですし、作業着やスポーツウェアや私服、どんな場面でも使えるような多機能な服も作りたい。これはSTARtedというWebサービスで実現可能です。さらにさらに、無人の古本屋や飲食店もやってみたい。東京の三鷹で全面ガラス張りの無人古本屋が売上好調だという記事を見たのがきっかけです。
とにかくたくさんやりたいことがあるのですが、手当たり次第に全部やってしまったとしたら明らかに時間が足りません。そして、器用貧乏という言葉があるように、選択と集中が成果を上げるための必要な条件であることは間違いなさそうです。特に男性は性格的にマルチタスクに向いていないという研究結果さえあります。
可能な限り仕事を増やし続け、自分のキャパシティを超えたところで人を雇い、仕事をお願いすればいいのかもしれませんが、そうなると人に何かを教えるための技能やマニュアルも必要になりますし、自分の納得のいく仕事の品質を保てなくなるかもしれません。
理解できない新しいことが今後増えてくる
しかし、やりたいことを全部やるというスタイルでうまくやっている人が世の中にはたくさんいることも事実です。誰よりも早く新しいことに飛びついたからこそ結果を出せたという事例は山のようにあるはずです。そして、今後はその仕組みや意味が高度すぎて理解できないような新しいことが増え続けていきます。わからないからやらないというスタンスをとっていると、あっという間に時代に取り残されてしまう世の中になるはずです。ガラケーからスマホに移行した事例などがまさにこの典型です。
やりたいことは環境によって変化する不確かなもの
それでは、はじめに「やりたいこと」について考えてみます。
さきほど、私のやりたいことを列挙してみましたが、そのほとんどが時代の流れに乗った流行色の強い仕事です。大抵がパソコンやソフトウェアに依存したデスクワークで、10年前なら、私のやりたいことのリストに入っていなかった仕事ばかりです。10年前に自分がやりたいと思っていなかった仕事だということは、今から10年後には時代の流れに淘汰されてしまっている可能性が高い仕事だということでもあります。
つまり自分がやりたい仕事というのは、自分が置かれている環境や時代の流れによって大きく変化するということです。この変化する好みを頼りに仕事を選んだ場合、その仕事に飽きたり、時代の流れによって淘汰される可能性が高くなってしまいます。
「やりたいこと」は、「やっていること」と「やる気がないこと」に分かれる
10年前、20年前、あるいは子供の頃からずっと続けていることはありますか? もしあるとすれば、それは「やりたいこと」ではなく、「やっていること」というジャンルに入るかと思います。そうです。やりたいけれど、やっていないこと。それは裏を返せば「やる気がない」ことだと言い換えることができます。あなたにとってそれが本当にやりたいことだとしたら、すでにやりはじめていないとおかしいのです。高齢の方でも、学生でも関係ありません。ですから、「やりたいこと」というのは、厳密に言うと「すでにやっていること」もしくは「やる気がないこと」この2パターンに分かれることになります。
もしもあなたがずっと続けていることがあるとすれば、それが仕事になるのかどうか、ここが大きなポイントです。好きでずっとやり続けていることが仕事になっているのなら、それほど幸福なことはありません。仕事選びに関する勝ち組です。ぜひ、好きなことをそのまま一生、追求し続けてください。ジョン・スタインベックもこう言っています。「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」
しかし現実は、結果が伴わずに仕事というよりも趣味として好きなことをやり続けている人が、ほとんどなのではないでしょうか?
やりたいことは「偶然」で、「できること」は必然である
ここからは、「できること」の話に移ります。ここで言うできることとは、自分ができると思っていることではなく、人から評価されたできることだということをはじめに断っておきます。
先ほども述べた通り、やりたいことは偶然によって左右されます。すでにやっている好きなこと、これに対して他人から評価されたできること。これには必然性があります。人から評価を受けるということは、世の中に必要とされている証拠であり、それで生活が成り立つ可能性が高いということです。
鏡を使わなければ自分の姿を見ることができないように、自分に向いている仕事というのは、自分ではなかなかわかりにくいものです。自分が決めるというよりも人に見てもらい、評価された結果、それに従い、その道を進むべきなのです。
自分の評価よりも、人の評価のほうが正しいこと
誰しも必ず、過去に成功体験があるはずです。作文を褒められた、絵を描いてくれと頼まれた、Webサイトを見た友人から制作を頼まれた、スマホのアプリは何がおすすめか聞かれた、等など。思い出してみてください。どんなに小さな成功体験でも構いません。その体験と自分がやりたいこととの間にギャップがありませんか? あなたは周りからそのように評価されているのです。それが本当のあなたです。評価されているということは、あなたはそれを仕事にして、生活をできる可能性が高いということです。
好きなことに見返りは必要ないこと
さて、ついにやってきました。ここからが結論です。人から評価されたことのある、自分ができることを仕事にして、それで飯を食いましょう。そして、すでに長年やり続けていることを仕事にできるよう、さらに継続してください。もちろん、一生涯の趣味として続けていくというのも一つの手ですし、仕事にしてしまったら義務になるので楽しめないという方はそのまま趣味として楽しんでください。
しっかりと生活の基礎ができているからこそ、趣味に没頭できるのです。どんな些細な趣味にも必ずお金はかかります。生活がままならない状態で好きなことに打ち込むということは、経済的に非常に自由度が低く、それ故に創造性が乏しい結果しか生むことはできません。まずはできることで揺るぎない生活基盤を確立しましょう。趣味の仕事化はその先にあるのです。人から必要とされ、やる気が湧き、人から感謝され、さらにのめり込むという無限のサイクルが、きっとあなたを待っていることでしょう。
追伸
やりたいこと、やっていること、やる気がないこと、できること、できないこと……。
「こと」が多すぎたことをお詫びします。読みづらくてごめんなさい笑
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